まあ笑ってくれ。

お前の上司の頭髪を全てもやしに変えてやろう

「ピルグリム」や「清教徒」が暮らした時代のアメリカ

めちゃくちゃ面白い本を読みました。

アメリカ英語の成り立ち」に関するノンフィクションです。

 

なぜアメリカ英語がイギリス英語と違うのか。どこでどんな風に分化したのか。アメリカ固有の言葉はどのような経緯で産まれたのか…そんな疑問に答えてくれる本です。言葉だけでなく、言葉が産まれた当時のアメリカの文化や事件を同時に紹介してくれてます。恐ろしく分厚いので、情報量が多いのなんの。

 

そこで、この本で知った内容をもとに、自分でもちょっと調べた内容も加えて、とくにおもしろかったアメリカの歴史の一部を切り取ってご紹介したいと思います!!

 

一番最初は、「アメリカの父」とも言われるピルグリムたちと、その暮らしや文化について。

 

準備不足すぎたピルグリムたち

102人のピルグリムたちは、それは小さな船に乗ってきたそうです。現代のものに例えるなら、テニスコートに入るくらいのサイズの船。

そんな小さな船で3カ月半も過ごしました。

 

その旅は当然…船酔いとの壮絶な戦いでした。船のクルーはピルグリムたちを「ゲロストッキング」と呼んでいたそうです。

その旅のさなか2人が新たに誕生し、1人が命を落としました。長く過酷な旅にしては、少ないと言えるかもしれません。

 

ピルグリムたちは、自分たちを聖闘士…じゃなく。なんでそう変換した俺のパソコン。セイントと呼びました。外部の者はストレンジャー

 

当時ピルグリムという言葉はありませんでした。彼らがピルグリムと呼ばれるようになったのは200年後。ファーザーと付けられるようになったのはさらに20世紀になってからです。

 

厳密に言えば、彼らを清教徒と呼ぶのも間違いです。清教徒英国国教会に残りそれを清めようとした人々。ピルグリムはそれを去った分離主義者です。本当の清教徒たちがアメリカに到着したのは、ピルグリムたちより遅れること10年ほどしてからでした。

 

 

この過酷な未知なる土地への旅に、ピルグリムたちはサンダルや太鼓、トランペット、トルコの歴史書を持ってきました。大量の靴を持ってきた者もいました。

 

しかし家畜や釣り具、農具を持ってきた者はいなかったそうです。

 

それもそのはず。ピルグリムたちのもともとの職業は農家ではなかったから。彼らは仕立て屋や印刷屋、帽子屋などであり、職業を「農民」としていた者も、農地所有者であって、実際に土地を耕した経験はなかったのです。

 

 

彼らは狩りも未経験でした。当時狩りは貴族のものだったので。

 

 

その上到着したのは間もなく冬になるころ。その当時アメリカにあった他のコロニーはいずれも800キロ離れていました。

最初の2週間で6人、次の1ヶ月で8人、2月に17人、3月に13人。次々と命を落としました。春が来た時生き延びていたのは54人。うち半分は子どもでした。

 

10年遅れて到着した清教徒

その後、国教会から迫害された一団がアメリカに到着しました。清教徒たちです。

1629-1640年の間に、8万人もの清教徒が海を渡り、バージニアに入植しました。彼らは主に西イギリス出身のエリート層とそのエリート使用人たちでした。

そして彼らは意外な文化をアメリカ大陸にもたらしました。

奔放すぎ!?

こんな清教徒たちですから、まじめなイメージがあったのですが、意外にお酒も飲むしゲームも楽しむし、エンジョイしていたのだそうです。そして…非常に性にオープンだったそうです。

婚前交渉は当たり前。お宅に招かれたらお嬢さんに「ご一緒にベッドまでいかがですか」と声をかけるのはもはやマナーだった時もあったのだとか!?

 

名づけもエキセントリック

そんな彼らの中には、子どもにぶっ飛んだ名前を付ける人もいました。記録では、Flie-Fornication (不品行を避けなさい)、If-Christ-had-not-died-for-thee-thou-hadst-been-damned(お前のためにキリストが死んでいなければお前は地獄に行っていた)などの名があったようです。

こちらにいっぱい例が載ってます:

Puritan names: Lists of bizarre religious nomenclature used by Puritans

 

インディアンから料理を教えてもらう

料理がおいしくないイジリの恰好の餌食であるイギリス。そこからきた清教徒たちはやっぱりあまりお料理が上手ではなかったらしく、インディアンからいろんな料理を教えてもらったそうです。例えば…

トウモロコシと豆類のミックスベジタブルみたいなサコタッシュ。

サコタッシュ | レシピ | ハウス食品

いろんなものにかかってるクランベリーソース

 

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この写真の中の赤いの

古い小説などによく出てくるジョニーケーキ

確かけっこう給食に出てきたボストンベイクビーン

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ちょい甘

トマトベースに野菜とお肉たっぷりのブランズウィックシチュー(諸説あり)

それからご存じクラムチャウダー

 

 

基本清教徒たちはお肉と野菜を味ナシでコテコテに煮て生ぬるい状態で提供したそうです。

豆を知った彼らは毎食マメを食べましたが、冷たくして食べていたそうです。

 

 

それにしてもアメリカインディアン、おいしいもの食べてたんですね。

  

1620年。アメリカで話された英語とは

1620年頃、英語の多くの音が変遷期にありました。

例えば、膝と言う意味のkneeという言葉。
ピルグリムの親世代はこの言葉を「くにー」と発音していたと思われます。しかし子ども世代は「とぅにー」と言っていたようです。

 

 

Night や Lightなどの中にあるgh。この頃にはすでに無音となっていました。
現在 laughのように、ghが最後に来る場合は「ふ」の音が割り当てられていますが、ピルグリムの時代、語中にある時同様、無音になることがありました。
このように発音が定まっていなかった言葉も多く、Bookをブックではなく「ぶーく」と発音したりCutをカットではなく「くっと」と発音したりする人がいました。

 

スペリングも定まっていませんでした。

たとえばシェイクスピアも、beenをbinと表記しています。

 

この時代「あー」にあたる音がありませんでした。Father はフェイザーと発音されました。
音はすべて今よりゆっくりと発音されていました。例えばNeverという言葉なら「ねヴぁ~る」という感じだったそうです。


まとめ

アメリカの学校に通っていたころの歴史の授業では、ピルグリム清教徒たちの歴史は、畏敬の念をもって教えられていたように思います。

でもこの本ではかなり面白おかしく書かれていて、意外な内容がいっぱいでした。

とくに清教徒の暮らし、おもしろいですね…いずれもう少し詳しく調べて、料理なども再現してみたいなーと思います。