まあ笑ってくれ。

お前の上司の頭髪を全てもやしに変えてやろう

近代オリンピックに降臨した破天荒すぎるヒーロー3選

14ヶ国の参加で行われた1896年の第一回目近代オリンピック。
今の感覚だとぶっ飛びそうになるエピソードが満載なのですが、
中でも「パイセン!!」と叫びたくなる衝動を抑えられないような昔の偉人たちを紹介したいと思います。

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1.国王「なんでも褒美をとらせようう」英雄の答えは

満を持してアテネで開かれた近代オリンピック。開催国にも関わらず、いまいち成績が振るわずギリシャじゅうが意気消沈していた中、はじまったのがマラソンレース。
開始後、アメリカやオーストラリアの選手が先頭を切る中、コース上の小さな村のカフェで一杯やりながら「大丈夫大丈夫」と嘯く若者がいました。
彼の名はスピルドン・ルイス。れっきとした参加者でしたが、コース上に彼女(叔父説もあり)の家があったので、そこでちょっと休憩していたのでした。コニャックを飲み終えると彼はレースに戻り、見事先頭でスタジアムに入ったのでした。
スタジアムのギリシャ人たちは大興奮。その熱狂ぶりは観戦していたギリシャ王子さまがコースに出てきて一緒に走ったほどでした。
見事1位でレースを終えたスピルドン。国王に「なんでも褒美をとらせよう」と言われてスピルドンは「ロバと荷馬車をください」と答えたそうです。
スピルドンの職業は水売り。水を運ぶために荷馬車がほしかったのだそうです。
競技後、彼は農家となり、二度とマラソンに出場することはありませんでした。

2.ディスカスなにそれうまいの

アメリカからディスカス競技で参加し金メダルをとったロバート・ガレット。
無理もありません。彼が練習に使っていたディスカスはなんと14キロ。14キロの鉄のディスクを投げていた彼にとって、普通のディスカスなど、紙飛行機を飛ばすがごとくです。
なぜこんな過酷なトレーニングを行ったのでしょうか?
そう、彼はディスカスが何か知らなかったのです。
アテネについて初めて競技のために練習をはじめた彼は、地元の鍛冶屋に行き、練習用のディスカスの作成を依頼しました。
古代オリンピック競技の「ディスカス」の説明に基づいて作られたそれは14キロある鉄の塊だったのだそうです。

3.マラソンで馬車禁止だなんて書いてましたっけ

同胞スピリドン・ルイスに少し遅れ、3位につけたのはスピリドン・ベロカス。
彼はのちに3位の資格をはく奪されています。
理由は、ラソンの途中で馬車に乗ったから。
当時は中継などなく、マラソンの状況は自転車と馬で伝えていたそう。そんな不正も行えてしまったんですね。