インドの子なら学校の歴史の授業で習うティプースルタン。日本ではなじみがないですよね。私も偶然この人物について読みました。
18世紀後半、インドが次々にイギリス帝国に支配されていく中、
長らくイギリスを退けた国があったそーだ。
それは現在のインド南部、バンガロールのあたりに合ったマイソール王国。
それというのも、その国のスルタンのティプーが恐ろしく有能だったからで。
中でも彼が対イギリス戦で用いた改良ミサイルがすごかったんだとか。
驚くべき性能
18世紀の世界でも、合図とかにミサイルは使われていたんだそうだ。
そもそも、ティプーの父親が、ミサイル隊の隊長からスルタンになりあがった人物だそうだ。
ティプーは父親が使用していたミサイルを戦用に改良したというわけ。
それは先端に刃がついていて、火薬で敵陣に飛ばすというもの。飛距離は最大2キロもあったのだそうだ。
数々の偉業
ティプーさんのすごいところはそれだけじゃない。彼は農地改革や貨幣制度の改革、またシルク産業を興したりして、マイソール王国を豊かにしたのだそうだ。
その成果たるや、大帝国イギリスの賃金水準と生活水準を抜いてしまうほど。
世界中に、自国の品を広められるトレーディングセンターを設置し国を豊かにしたらしい。
200年ヒツジとして生きるより2日トラとして生きた方がいい
彼がよく言っていた言葉だそうだ。
トラを愛する彼は6頭も城で飼っていたらしい。
さらにトラを象った玉座に座り、トラを象った剣を腰に挿していたらしい。
分かれる評価
イギリス帝国を退けた唯一の南部の王として英雄視される彼だが、
近頃はヒンズー教徒を弾圧した人物として、悪く描かれることが多いんだそうだ。(彼はイスラム教徒だった)
しかし、ヒンズー教徒を虐殺したという歴史的記録は、敵側イギリスに残る、真偽の怪しい資料のみ。
彼の死後、ミサイルはイギリスに持ち帰られ、研究されて、ナポレオン戦争にて使用されたそうだ。
彼は1799年に戦死した。
その日の朝、彼は神官たちから悪い暗示が出ていると知らされていたそうだが、気にしなかったという。
昼になり、イギリス兵が城の城壁に上ることに成功すると、彼自身トラのように戦ったという。彼に手を下したのは、彼が身に着けた膨大な宝石に目がくらんだ名もなきイギリス兵だったという。たくさんの屍の下からスルタンの遺体を見つけたイギリス兵は彼を手厚く葬った。
その後、彼が治めたマイソールの国は前王朝の血を引くヒンズー教の幼子の手にわたった。
参考
Tipu Sultan killed at Seringapatam | History Today
An astute banker - 6 things you should know about Tipu Sultan | The Economic Times