まあ笑ってくれ。

お前の上司の頭髪を全てもやしに変えてやろう

こんな時だけど楽しい社会で暮らしたいから(わたしは心の三銃士に耳を傾ける)

日本人はお利巧で、このお利巧さが危機の時にすら秩序を産み、何度もこの社会を救ってきたと思う。

でも日本人がお利巧であり続けるために無意識に行っていると思うことがあって。…それは、相互監視なのね…

 

法律で裁けない微妙で迷惑な悪ぃことするとすると、

「白い目で見られる」という形で裁きを受ける。

このシステムも機能してこそのこの日本の秩序だとは思う。

 

でもこのシステム、ときに監視がつよく働きすぎてしまうという弊害があって。

 

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これまで善良な大人しい市民だったみなさんがときに過激なみなさんにグレードアップしがちで。

 

 

いやいや、「そこまでしないよ」と思いきや。歴史上何度も人類はそんなことをやらかしてる。今まさに、正義の斧をリアル社会で振り回して警察出動する案件がちらほら。

 

思うに、自分の善意が暴走してしまっているときは、自分では気づけないものだと。

 

 

 

私もついつい

「まじSD(ソーシャルディスたんス)」とか怒りにかまけてツイートしてしまうのですが、

 

今こそみんなが、

 

「こうしてほしい」という要望(買い物はなるべくまとめて、短時間で)と

「こうしやがって」(暇つぶしにスーパー行くんじゃねえ)という叩きを自分の中で明確に区別しないとたいへんなことになりそうな予感がしているのです。

 

 

 

 

ところで私は様々なネットのアドバイスをもとに、心の中に精神守護三銃士という存在を飼っています。

 

 

辛いことがあったとき。自己嫌悪に陥りそうになった時。三銃士がこういいます。

 

りゅうちぇる「しかたなくなーい?」

恭子さま「あらそう。美香さんよろしく」

ぺこぱ「だがそれでいい」

 

 

今こそ、私の心の中の三銃士をさらに頻繁に召喚するときが来たと思っています。

普段は自分のために働いてくれているこの三銃士を、他人に向けてみようと思うのです。

 

「あのおじさん、なんでくしゃみするたびににマスクを下にずらすんだろう」(叩き)

 

こんなことを思ったら

 

りゅうちぇる「そんなこと考えたってしかたなくない?」

恭子さま「そんなに嫌ならご自分でお伝えになったら?ねえ美香さん」

ぺこぱ「それではマスクの意味がないけれどおじさんはきっと無意識にやっているのだろう」

 

という三銃士の声に耳を傾けて、

「マスクをずらしてくしゃみするのはやめてほしいなあ」(要望)

と、叩きを要望に丁寧に置き換える作業をしていきたいなと思うのでした。

 

 

 

まじめな話をしだすと、

今、(無症状の人たちによる)ウイルスの拡散の脅威と同時に、

無意識で自分の善意を疑わない人による悪意の拡散も

脅威のような気がしているんです。

 

 

リアル刃物振り回すまではいかなくても。
言葉の刃物をすごい勢いで振り回して他人をけん制することはやりがち。

 

 

とは言っても

 

 

声を上げるのは、とても大切。

声を上げないと何もよくならない。

 

 

こんなジレンマがあって。

でも声を上げるのが大事な時だからこそ、

声を上げることに効果があるからこそ、

 

無駄打ちや誤発砲に注意が必要。

 

 

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自分の感情の元になっているものが分析できれば、違う発言や発言方法が最適だと気づくことも

 

こんな時こそ。

デヴィ夫人(ぁーた、そんなこと言ってないでご自分でなんとかなさったら)

でも

アンガ田中(やーまーねー)

でも

誰でもいいから、自分の中に他人を飼って

自分の心の声にチェックを入れることが大切だと感じているのです。